#4 人それぞれなのに数字だけで判断していいの?

今回は痛みについて書こうかと思います。

 

同じ病名であっても痛みは人それぞれです。

痛みはどんなに周りに訴えたところでその人の本当の痛みがどれ程かは分かりません。

 

あ~なんか凄く痛がってるから痛そうなんだろうなとか思ったり、ちょっとオーバーに痛がってるんじゃない?とか思ったり。

 

まぁ虫歯の治療で神経に触れてしまった痛みを経験している者同士ならまぁ相手の痛みも理解出来ると思います。

 

けど他の誰かと同じ病名でも痛みのレベルは人それぞれ。ましてや経験したことのない痛みの話をされても良く分かりません。

 

ちなみに自分は大元の痛みが余りにも酷すぎる為、他にも痛い部分が出来れば意識が分散され元の痛みも少しは楽になるかもと思い、自分の腕にタバコを押し付けました。

 

っが全く痛くも痒くもありません。むしろ蚊が刺した程にも感じませんでした。

あれっ?と思いタバコの押し付け方が足りないのかなとか、ずーっと押し付けてれば痛むのかなと思い強く押し付けたり、タバコの火が消えるまでずーっと押し付けても痛くも痒くもありません。

皮膚を見るときちんと焼けた皮膚がえぐれたようにはなってます。

なら続けてその同じ場所に押し付ければ痛いでしょとか思い繰り返しても結果は同じ。

体のどの部分に押し付けても結果は同じ。

意味ないなと思いそれは止めました。

 

自分は体が悪く良く入院しますが、そこで毎回、毎日必ず痛みを1から10で例えるといくつですか?と聞かれます。

 

けど疑問です。その痛みの数字のレベルは自分個人にしか当てはまらないのに、皆に同じく必要に聞いて回ります。

そこで考えてみて下さい。

タバコを押し付けても特に痛くも痒くもない自分が3から4くらいですかねと答えます。

一方他者の方が仮に自分の体にタバコを押し付けてみて、それが我慢出来ない痛みですぐタバコを体から離してしまうようなら、その人の痛みはそれが10ということになります。

っでその人が痛みのレベルを1から10のうちいくつですか?と聞かれ8から9くらいと答えたします。

するとその比べても意味もない8から9も痛いの?これは大変だとそちらにだけ関心が行き、重要視され3から4と答えた自分の痛みは重要視されることもなく軽く流されて終わりです。

 

なんか間違ってません?

そんな意味もない数字だけで判断する医療の世界ならいつまで経っても救える者も救えないんじゃない?

としか思えてなりません。

 

数字は確かだとか点数だけでしか判断出来ない、物事が全く見えていないこの世の中はっきり言って狂ってるとしか言えません。

 

ちなみにタバコを押し付けた痛みが0としか感じない自分の大元の痛みがどれ程か想像出来る人います?理解出来る人います?

#3 生の死について

この話はとてもデリケートな部分でとても難しい生と死についての世界について書こうかと思います。

 

あらかじめ初めに言っておきますがそう言ったことに敏感な人や自分の回りに起きたその出来事でとても悲しみ苦しんでいる方々が沢山おられると思うので、そういう方々は記事を読まないで下さい。

またこのことに関しては個人的な意見や考え価値観によるものなので意見もまた様々で当然です。

なのでこれからも書く内容はあくまで個人的な意見であり考えであり、そこに答えがあるのか無いのかも分かりません。

そこを踏まえてあくまで個人的な考えに基づく内容であることをご理解下さい。

自分の考えが正しいとも思ってません。

 

それでは本題に入ります。

あなたにとって生きる意味とは?幸せとは?

とても抽象的でその答えや理由は人それぞれで様々だと思います。

 

よくこの子の為なら死ねるとか、家族の為になら死ねるとか思ったとかということを、聞いたり、またはテレビで拝見したりしますが、その時あなたはどう思いますか?どう感じますか?

それほどその人のことを想ってるんだねとか、凄いねとか思う人もいるかもしれません。

 

ですが自分はこう思います。

別にそんなのは当たり前の当たり前で当然の当然。というかそんなこと意識レベルは底辺。根本にあるレベルの話。そんなことをわざわざ口に出して宣言するほどのことではなく、ごくごく当然のこと思ってしまいます。

 

じゃあこの話の本質は?というと極端な例えですが、究極の選択で見ず知らずの他人と自分の2人のうち、どちらかしか生きられないとしたら?という選択に迫られた時に、あなたなら自分が自ら犠牲になるのか相手を犠牲にするのか?というこの二択の答えにあなたという人間の本質の答えが見つかるかと思います。

とても難しく考えても分からなかったり、悩んだり、またはその問いに自分の答えが出てる人もいるかと思います。

けど今起きていると思われる現実でそう考えて自分なりの答えが出てる人の中で、その見ず知らずの他人の為に死ねると思った人は、はたしていざ本当にその状況に追い込まれた時に自分の中ではそう思っていた行動が取れるのかと言えば実際にはやっぱり自分が生きる道を選ぶかもしれません。

何故なら本当の自分の心の奥底にある本当の自分に気付いてない人もいるからです。

自分のことなんだから自分が一番自分のことを知ってるよと思うと思います。

 

ちなみにですが自分はよく優しいとか良い人だとか言われてた人間です。

そして自分は見ず知らずの他人の為に自ら犠牲になれると思ってましまが、はたして本当に自分が実際にその選択に迫られた時にその行動が出来る人間なのだろうか?ととても悩んだことがありました。

心の奥底にある本当の自分の気持ちって何だろ?とか考えました。うわべだけの優しい人ぶってるだけの人間なのでは?とか。

 

けどその究極の選択の本当の自分の答えを知る方法はあります。

それは夢の中でもしその究極の選択に迫られた夢を見たならば、その夢の中で取った行動選んだ選択が本当の自分の答えです。

中々そんな状況の夢を見るのは難しいですが・・・

なぁに夢の中じゃんみたいに思いますよね。そんなの本当か分かんないじゃん。って思いますよね。

けど夢というのは自己投影される場所です。

普段見えていない自分、隠された本当の気持ちや本当の自分の姿が投影される場所。

けど所詮夢じゃん。って方もおられると思います。

しかしレム睡眠時における見ている夢というのは、その状況における脳の状態を調べた結果、夢で見ていること、起きている出来事を脳は現実だと認識していることが解りました。

ということは夢も現実で、現実は夢でもある?もはや何が現実で現実じゃないのか、何が夢で夢じゃないのか、頭の悪い自分には訳が分かりません。

ですが皆さんも味わったことがあると思いますが、あまりにもリアル過ぎる夢、感覚、感触を味わったことがあると思います。

このことを踏まえ考えるとやっぱり夢も現実なんだなと自分は思いました。

ではちなみに夢が現実というなら、自分は現実にもう何十回も死んだことになります。(笑)

あの時のあまりにもリアルな感覚や感覚は恐ろしく死んでいく自分の気持ちや諦めて死を受け入れていく自分。

そして目が覚めて、あっ生きてたんだ。夢だったんだとその度に思いました。

ただ毎回そういう夢を見た後は、たかが夢の出来事であるにも関わらず、起きた後はビックリするくらい肉体的にも精神的にも疲労困憊の状態でした。たかが夢なのにと思ってましまが、脳が夢を現実と認識しているならば、現実に実際そんな経験をすれば肉体的にも精神的にも疲労困憊になるのは当然だなと納得しました。

 

ちなみに自分が夢の中で取った行動は自ら犠牲になる道を選択していました。

起きてから何か良かった思いホッとする自分がいました。

 

そんなに生と死について触れなかったかもです。

それはまたいずれにします。

 

皆さんはどうでしょ?どう思うのでしょうか?

あっその前に誰も読まないか(笑)

 

 

 

 

#2 自分という人間

色々な出来事、体験、経験を書き物事の本質って何?という前に色々なことを述べる前に物事には段階というものがあると思うので自分という人間を軽く述べます。

自分という人間はこういう生き物なので理解出来る出来ない以前の問題なので否定も肯定も何もないですから読んでもらった後にどーのこーの文句を言われても困ります。ただそれが自分にとって導き出された答えにすぎないということだけです。

 

さて本題ですが、Twitterでも自己紹介で書いてますが詳しく書かせて頂きます。自分という人間は基本人間全員嫌いです。信用もしてません。信用する価値もないと思ってます。

むしろ人間全員ゴミクズとしか思ってません。

この世に救う価値のある人間など1人もいないと。

何故なら人は皆常識や固定概念に囚われてそこに当てはめられた範囲でしか考えられないし、答えしか出せない。そういうものに囚われずに人として本当に大切なことや大事なことって何だろ?考えることもせず、出来ない。ウソや間違ったことを真実だと信じ込み、自分は正しいと思い込み、人生それの連続で真実を理解しようとも知ることもなく終える人生。それの繰り返し連鎖。何も変わらない成長も進化も出来ないのが今の人間。もいうか教育、社会、世の中が何かしらのレールに乗せて、そのレールの上でしか考えられない答えが出せないようになっているから仕方がないと言えば仕方がないです。

 

常識や固定概念、セオリーについて分かりやすい例を出します。

常識や固定概念に囚われていてはイチローや野茂は生まれない。

後自分の実際の出来事でも分かりやすく例えになると思うのでその時のことをお話します。

 

ある時高熱が出て胸の辺りが苦しかった為病院にいきました。

先生にそのことを伝えレントゲンを撮りました。

レントゲンには肺が真っ黒になった結果が目の前に貼り出され、それを見た先生はいきなり強く怒った口調で

「あなたねぇ いったい1日何本吸ってるんですかっ?」って

怒りつけて言い放ってきました。

レントゲン-肺真っ黒=タバコ

これがこの先生というレールの上の中では常識。

 

けどこの結果の真実は自分が良く知っているので私はこう言いました。

 

「いえ、1本も吸ってないですけどっ‼️」

 

その言葉を放った後の先生の表情は今でも目に焼き付いてますが、目玉が飛び出るくらい驚いた顔をして口もポカーンとパックリ開いて ました。

自分はその時東日本大震災津波で多大なる被害を受けた地域へ毎朝4時起きで2時間以上掛けガレキ撤去の仕事をしてました。少しでも被害に遭われた方々へ手助けになればと。

あり得ない量の粉塵でマスクをして仕事をしてましたが、一時間もすれば顔もマスクも粉塵で真っ黒になる程でした。それが原因だと思ったので端的に先生に説明しましたが、自分があの言葉を放った後は一言も喋ることもなく薬だけ処方されただけでした。

個人的には少しでもその対処法やあまりにも危険なら仕事を辞めて下さいとか、医者からのアドバイスが欲しかったですけど。

 

ようするに常識や固定概念に囚われていては真実は見えないし分からない。目を向けようともしないし出来ない。救えるものも救えない。

ただ専門的な知識や技術、経験も必要でそこで辿り着く真実も多々あると思います。

がそれが全てではなく常識でも絶対的なものということにもならない。

それが基本やベースでしかなく、結果だけみるのではなく、その背景やプロセス、全体像までみれる視野の広さ物事の本質が見えてなければという話。

 

このような一つ一つの自分の体験、出来事、経験の積み重ねにより、自分なりの答えに辿り着き、何が常識かも分からない常識や固定概念に囚われている人間に何を言っても理解出来ないし誰にも自分を救うことも出来ないので意味がないので、自分はもう誰かに自分を理解してもらおうとかということには意味もないと悟りました。

 

一応自分は生物学的には同じ人間ですが、価値観?スピリチュアル的には住む次元が違う生き物だと思ってるのでその次元でしか物事を捉えて判断出来ない生物にはいつまで経っても理解出来るはずもないので、何をどー話したところで永遠に理解されることなどあり得ないので。

 

なのであなた方の常識、固定概念を人に口出しするのも押し付けるのも止めて下さい。

あなたの常識こそが非常識だということに気付いて下さい。

 

という出来事、経験、体験したことにより人間に対して冒頭で述べた人間という生き物に対しての考え方になりました。

 

これを読んで何かを感じることが出来る人間ていますか?存在しますか?

#01ブログ開設2019 02 17 その目的及び理由

人が生きることに意味や理由ってあるの?
人の生や死について。
物事の本質って何?
この世の中これだけ知恵や技術が進歩しても分からないことだらけ。
それはくだらない常識や固定概念、セオリー、今自分が乗っているレールの上でしか考えられない答えが出せない人間に作り上げられてしまっているからです。
分かりやすい例えだと常識や固定概念、セオリーに囚われていてはイチローや野茂は生まれない。
本当は何が正しくて何が大事で物事の本質や真実を探そうとすることが出来る人、又はその見極めが出来る人、そしてまたその本質や真実をショッキングなものだとしても、頭ごなしに否定せずにそれを受け入れることが出来る人、受け入れる覚悟が出来る人間。
自分の出来事、体験したこと、経験したことそこから自分で導き出された答えから、何かを感じ、考え、物事の見方が変わり一人一人の意識が変わればと思い、今自分が生きている、生き残ってしまったことに意味があるとしたら生きている間に伝えなければとなければ。このままでは人間という生き物は何も変わらないし進化することもないし明日もない存在だと思いブログを開設しました。
Twitterも始めました。
Twitterで発信したことをより深く掘り下げていきます。
死に関することも自分の体験や自分なりの見解を踏まえ載せるつもりなので、死についてはとてもデリケートなことでもあり、苦手な方はブログを読まないで下さい。
また常識や固定概念に囚われ頭ごなしに否定するような人間には何を言っても無駄なのではじめから読まなくて結構です。
基本的なスタンスは理解されないし理解も出来ないし意味もないと思って投稿しますが万が一にも誰かの心に響くことを祈ってます。
まっ誰も自分のブログなんか読むことも気にかける人も居ないと思いますけど(笑)

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